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横浜地方裁判所 昭和38年(ワ)943号 判決 1965年3月16日

主文

原告と被告の間に雇傭関係の存続することを確認する。

被告は原告に対し昭和三八年九月四日以降一ヶ月金一七、九四二円の割合による金員を毎月末日限り支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決の第二項は仮に執行することができる。

事実

第一、双方の申立

一、原告

主文第一ないし第三項同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二、被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

旨の判決を求める。

第二、主張

一、請求の原因

(一)  被告は肩書地において生田病院と呼ばれる精神病院を経営する医療法人で、原告は昭和三七年四月二四日右病院の精神病患者看護人として被告に雇傭されたものであるが、昭和三八年九月四日被告は原告に対し、「就業規則第一三条第一項の規定により解雇する」旨通告した。

右就業規則の規定は「第一三条、従業員が次の各号の一つに該当するときは三〇日前にその予告をなすか三〇日分の平均賃金を支給して即時解雇することができる。

一、やむを得ない業務上の都合によるとき」というものである。

(二) しかし、被告が原告を解雇する理由として示した右のような「やむを得ない業務上の都合」などは全く存在せず、真実の解雇理由は、原告の正当な労働組合活動を嫌悪した被告がこれを排除しようとしたことにあり、右解雇の意思表示は労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為であるから無効である。すなわち、

1  原告は他の従業員らと共に昭和三七年七月二一日生田病院労働組合を結成し、同時に原告は右組合の委員長に選任され、以後組合活動の中心となつて活発な活動を続けた。

2  被告代表者桜井源吾理事は右組合結成当初よりこれを嫌悪し、

(1) 昭和三七年七月二一日組合結成の当日夜、組合副委員長西久保清を病院応接室に呼出し、組合を誹謗し、組合脱退を勧告し、

(2) 同年夏の夏期手当の交渉、同年末の年末手当交渉において度々団交を拒否し、

(3) 昭和三八年九月原告の解雇直前の頃には職制の圧力を介して多数組合員の脱退工作を図り、同月二日の組合大会において組合員一九名のうち一二名までが脱退届を提出したが、その中には当時の委員長小高義夫も含まれており、しかもこれらの脱退届が各人の自由意思によつて書かれたものではなく、職制の圧力によつて書かされたものであることが大会の席上明らかになつた。

3  そして原告に対してはいずれも原告の組合活動を理由として

(1) 昭和三七年一一月初旬奥田裕洪病院長が退職を迫り千葉県総武病院に転職を勧誘し、

(2) 昭和三八年六月末頃には桜井源吾代表理事自ら原告本人を呼び、一方看護婦長小川まつをして原告宅を訪れさせて原告の妻に対しそれぞれ原告の退職を勧告し、

(3) 同年八月頃には更に右小川婦長が原告本人に対し代表理事の命によるとして退職を勧告した。

以上のように被告は組合に対する支配介入を行い、原告の組合活動を嫌悪して再三退職を勧告したが、原告がこれを拒否したため本件解雇に及んだものであつて、これが不当労働行為であることは明らかである。

(三) また、前記のとおり被告には原告を解雇すべき「やむを得ない業務上の都合」は全くないのであるから、このことを理由とする本件解雇は就業規則に違反するものとして無効であり、かつ、生田病院には資格を有する男子看護人は原告唯一人であつたのにこれを解雇することは患者の治療に支障を来たすもので、かかる解雇は正当な理由がないばかりか、病院の奉仕すべき公共的利益をも害するものであるから権利の濫用として許されないものである。

(四) 原告が被告から解雇の意思表示をうけた昭和三八年九月四日以前の三ヶ月間に支給された平均賃金は一ヶ月あたり金一七、九四二円であるが、被告は右の日以降原告の就労を拒否し、賃金を支払わない。

(五) よつて原告は被告に対し、原被告間に雇傭関係の存続することの確認と、昭和三八年九月四日以降、毎月末日限り一ヶ月金一七、九四二円の割合による金員の支払を求める。

二、被告の答弁

(一)  認否

1 請求の原因(一)の事実は認める。

2 請求の原因(二)の事実については本件解雇が不当労働行為に当ることは争うが、原告主張の具体的事実については1の事実中原告主張の日に生田病院労働組合が結成されたこと、原告が委員長に選任されたことは認め、その余は争う。2の事実中、被告代表者桜井源吾理事が組合結成当日夜西久保清と面談したことは認め、その余は争う。右の西久保との面談は組合結成に伴う諸事項の確認を求めたものにすぎない。3の事実中病院長、代表理事、婦長がそれぞれ原告主張の頃原告或いは原告の妻に対し転職の意向を打診したことがあることは認め、その余は争う、右の転職の意向打診は後に詳述するように、原告が患者の治療、看護にあたる同じ立場にあるものとしての協力的態度に著しく欠けているため病院従業員らの間で敬遠嫌忌の的となり、従業員の大多数から原告退職勧告方の要請もあつたので病院の幹部らが、職場における従業員間の協調維持を慮つて、原告に勤務継続についての意向を打診したに過ぎない。

3 請求の原因(三)の事実中、生田病院の男子看護人中、正規の資格を有する者は原告だけであつたことは認め、その余は争う。

4 請求の原因(四)の事実中、平均賃金の額が原告主張のとおりであることは認める。

(二)  被告の主張

精神病院における入院患者の医療および保護は患者に病識がなく、自傷他害のおそれがあることから、隔離、収容のもとに行われており、このような状況のもとに収容、治療を受けている患者の看護に当るものとしては、精神的安定度が高く、また、臨機応変の適切な処置をなしうる柔軟な判断力のある人が望ましく、また医療看護担当者全員の協調、チームワークが特に必要とされる。しかるに原告は性格的に暗く、孤独、杓子定規で融通性に欠け、患者の看護に当つて、却つて患者の不安感、動揺を助長するがごとき行動がしばしば見受けられ、担当医師らからこれを指摘注意されても、一向に改めるところがなく、また、拘禁状態のもとにある患者の看護に当つては、患者の不安感をとり除いてやることが、その第一の任務であるのに、原告は患者の不平不満、苦情などを、看護人の立場で臨機処理することをせず、これをいちいち病院に対する批判攻撃の材料として病院側に提出し、患者の看護治療に当る同じ立場にあるものとしての協力的態度に著しく欠けていた。このため、原告は次第に同僚の看護婦らより敬遠、嫌忌され、いよいよ遊離孤立の傾きを深め、ついに原告故に病院の看護担当者全体の協調を害するに至つた。そこで被告は、病院従業員大多数から原告退職勧告方の要請もあり、この先原告の雇傭を続けるならば、病院において自信のもてる看護、治療の体制の維持が著しく困難とみられるに至つたため、やむなく昭和三八年九月四日原告を解雇したものである。

これを要するに、右のような事実は、就業規則第一三条第一項の「やむを得ない業務上の都合によるとき」に該当し、被告の原告に対する本件解雇は正当であるから、原告の本訴請求は失当である。

三、原告の再答弁

被告主張事実はすべて争う。原告は熱心に業務に励み、同僚の信望も厚かつたものである。

第三、証拠(省略)

理由

一、被告が肩書地において生田病院と呼ばれる精神病院を経営する医療法人であること、原告は昭和三七年四月二四日右病院の精神病患者看護人として被告に雇傭されたが、昭和三八年九月四日被告から就業規則第一三条第一項の規定(やむを得ない業務上の都合)を理由として解雇する旨通告されたことは当事者間に争いがない。

二、そこで原告が解雇されるに至つた原因について考察する。

(一)  被告主張の解雇理由について、

被告は原告を解雇するに至つた理由として、原告に患者の不安動揺を助長するような行動がしばしば見受けられ、担当医師がこれを指摘注意しても一向に改めなかつたこと、患者の不平、不満を看護人の立場で臨機処理せず、反つてこれを病院に対する批判攻撃の材料として病院側に提出したこと、患者の治療看護に当る立場にある同僚との協力的態度に欠けたこと、これらの結果として同僚の敬遠、嫌忌の的となり、病院従業員大多数から原告退職勧告方の要請があり、この先原告の雇傭を継続すれば病院の看護体制の維持が困難とみられるに至つたので、このような事情が原告を解雇すべき「やむを得ない業務上の都合」にあたると判断した結果原告を解雇したものであると主張する。

しかし

1  原告に患者の不安動揺を助長するような行動があつた、との点については、これを認むべき証拠は全くない。

ただ、証人奥田裕洪の証言、原告本人尋問の結果によれば昭和三八年七月二九日頃生田病院の入院患者中五〇数名が生田病院理事長宛に食事の改善を要望する趣旨の署名文書(甲第一ないし第四号証)を作成し、その頃奥田院長回診の際これを右患者らの代表が院長に手渡そうとしたが院長はこれを払い落して受け取らなかつたため、患者らはこれを当時原告の勤務していた詰所の机の上に置いていつたこと、後に原告はこれを院長に提示したが、その時も院長はこれを受理しなかつたことは認められる。しかしこの文書に関し、原告のとつた行動について認められる事実は、右のように患者らが机の上に置いていつた右文書を後に院長に伝達するために提示したということのみであつて、これが患者の不安、動揺を助長した行動とは認められないことは勿論であり、その他本件全証拠によるも原告が患者らに対し、右文書の作成を示唆、せん動したりその他その不安動揺を助長するような行動をとつたことは全く認められない。

2  原告が患者の不安動揺を助長するような行動をしばしばとつたので担当医師がこれを注意指摘しても原告は一向に改めなかつた、との点については、原告がそのような行動をとつたと認むべき何らの証拠もないことは前記のとおりであり、またそのような行動をとつたことを理由として担当医師が原告に何らかの注意を与えたことについてもこれを認むべき何らの証拠もない。証人奥田裕洪は同人が原告に対し二度注意を与えた旨供述するが、これは原告が勤務時間中、その持場を離れて他の看護婦と業務外の話をしたことに関するもので患者の不安動揺を助長する行動とは全く別の事柄に関するものにすぎない。

3  原告が患者の不平不満を臨機処理せず、これを病院に対する批判攻撃の材料として病院側に提出したとの点については、証人谷口冨美代、同奥田裕洪、同小川まつの各証言、原告、被告代表者各本人尋問の結果および成立に争いのない甲第九号証、前記甲第一ないし四号証を綜合すると、生田病院は昭和三五年九月一日開設されたが、当初は病院の医療設備、看護体制、従業員の労働条件、患者の待遇等すべての面で一般的水準に達しないものであつたこと、その後漸時改善の方向に進んだものの昭和三七、八年当時は不充分な点が多く、監督官庁の監査のために二重の病棟日誌を作成し、実在しない看護婦を実在するように虚偽の報告をしたこともあり、医療体制が基準に達しないため補助金の交付を打ち切られたこともあつたこと、従業員の労働条件も一般に比べて劣悪であつたこと、原告らが昭和三七年七月二一日に労働組合を結成した目的、動機は従業員の労働条件の改善のためと同時に病院の医療体制の改善について発言する場を得るためであつたこと、そしてこのような背景のもとに、昭和三八年五月二日頃、同年春に行われた地方選挙の際の患者の投票のための外出について、院長の患者に対する外出、外泊の許可に不平等な取扱があつたとして、原告が組合の名において院長に対し電話と文書で抗議を申入れたことがあること、および前認定の甲第一ないし第四号証の患者らの食事改善を要望する趣旨の署名文書を原告が団交の席上院長に提示したことが認められる。そして患者の取扱に関し原告が病院側に抗議または要望した具体的事実として認められるのは右の外出許可の件と、患者の食事改善要望の件の二回だけである。

4  原告は、同僚との協力的態度に欠けていたとの点については、証人奥田裕洪、被告代表者本人は原告が医師の指示に従わず、院長に対し非協力的であつたと供述するが、その具体的事例としてあげるのは、昭和三七年一一月頃と昭和三八年五、六月頃に院長が原告に対し千葉県総武病院に転職の意向がないかどうか打診したが原告はこれに応じなかつたこと、前記の勤務時間中原告がその持場を離れて他の看護婦と話をしたことについて院長が注意したが原告がこれに充分注意を示さなかつたこと、原告が院長の外出許可について抗議したこと、患者の食事の改善要望書を提示したことのみである。右のうち院長の転職勧告に原告が応じなかつたことは第一回目については当事者間に争いがなく、第二回目については、証人奥田裕洪の証言、原告本人尋問の結果によりこれを認めることができ、勤務時間中持場を離れたことについて院長が注意したのに原告がこれに充分注意を示さなかつたことは証人奥田裕洪の証言によりこれを認めることができる。外出許可に対する抗議、患者の食事改善要望書提出の点については前認定のとおりである。

5  原告が同僚間で敬遠、嫌忌の的となり、病院従業員大多数から原告退職勧告方の要請があつたとの点については、被告代表者本人の供述中に右趣旨に沿う供述はあるが到底信用できず、他にそのような事実を認むべき証拠はない。かえつて証人谷口冨美代、同伊藤みづえ、同小高義夫の各証言によれば、原告は看護人としての技術経験において優れ患者同僚に対し親切で仕事に熱意があり、唯一人の有資格男子看護人として同僚看護婦らに信望を得ていたことが認められる。

以上認定したところによると、原告を解雇するに至つた理由として被告の主張する事実のうちその存在を認められる具体的事実は、前記のように院長の転職勧告に原告が応じなかつたこと、選挙の際の外出許可の件について抗議したことと患者の食事改善の要望書をとりついだこと、院長の注意に充分注意を示さなかつたことの四つに過ぎず、他は全く事実に反するか誇張に過ぎない。そして右の事実について考えると転職勧告はそれが本人の希望に反するものであり、かつ転職先についての保証もない以上任意退職の勧告を意味するに過ぎず、これを応諾せず、従前通り勤務を続けたいとの意思を表明したからといつて、これがただちに職務上の非協力を意味するとは到底考えられず、患者らの食事改善に関する要望書をとりついだことも、前認定のとおり、当時患者らに対する病院の待遇が必ずしも充分なものではなく、理事者ら自身その改善に努力していた状況にあつたのである以上、右事実をとらえて看護体制に対する非協力的態度を示すものと解することはできず、又外出許可に関する院長の措置に対し原告が抗議したことも、それのみでただちに病院の看護体制の協調維持を破壊するという程の重大事とは認められない。また勤務時間中、持場を離れて他の看護婦と業務外の話をしたとの点についても、それが常識上許される程度を越えていたことを認めるにたる資料はなく、注意されたのちも再三同じことがくり返されたことも認められない以上、これを軽微なこととして原告が充分関心を示さなかつたとしても、これを病院の看護体制に影響を及ぼすほどのこととは到底解することができない。

被告が本訴において原告の解雇理由として主張するところについては以上のとおりであるが、一方原本の存在およびその成立について争いない甲第一一号証証人伊藤みづゑ、同小高義夫、同奥田裕洪の各証言、原告本人、被告代表者本人各尋問の結果によると、昭和三八年九月四日、原告に対し解雇が通告された際、その理由については「就業規則第一三条の規定による」というのみで具体的な説明は何らなされなかつたこと、その数日後、生田病院労働組合の組合員らが理事者らに対し原告の解雇理由をただしたのに対しても具体的事実を示しての説明は何らなされなかつたこと、原告の解雇を決定したのは右通告の日から一週間程前の理事会においてであつたことが認められるが右理事会の席上においても被告が本訴において主張するような解雇理由が問題とされたことを認むべき証拠はない。

以上のような諸事実を考えあわせると、被告が本訴において解雇理由として主張するところは、具体的事実として存在したことが極めて疑わしいばかりか、被告が本件解雇を決定した時、これが真実解雇の理由とされていたかどうかの点も極めて疑わしいものといわざるを得ない。

(二)  原告主張の不当労働行為の成否

そこで、本件解雇の真の理由は原告の労働組合活動の故であるとの原告の主張について考えると、

1  原告の組合活動および組合活動において占めていた地位についてみると、昭和三七年七月二一日生田病院労働組合が結成され、同日原告が委員長に選任されたことは当事者間に争いがない。原告本人、被告代表者本人各尋問の結果、証人谷口冨美代の証言および成立に争いのない甲第一〇号証によれば、右組合の活動としては、結成直後に従業員に対する健康保険加入を病院側に要求しこれを獲得したこと、同年年末の年末手当、翌昭和三八年夏の夏季手当の要求につき団体交渉を行つたこと昭和三八年二月看護婦谷口冨美代に対し病院側から退職勧告がなされたのに反対して勧告撤回を要求し、院長から組合宛に右解雇の点に関し全部解消する旨の通知書(甲第一〇号証)が出されたこと、そしてこれらの活動を通じて終始原告がその中心人物として指導的地位にあつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  次に被告の組合および組合員に対する態度についてみると

(1) 昭和三七年七月二一日組合が結成された当日夜、被告代表者桜井源吾理事が組合副委員長西久保清を病院応接室に呼びだし、組合結成の事情について聴取したことは当事者間に争いがなく、証人谷口冨美代の証言、原告本人尋問の結果および被告代表者本人尋問の結果の一部(後記措信しない部分を除く)によれば、この時桜井理事は病院の事務員をしていた同人の娘から組合が結成されたことをきき、夜遅く自動車で病院にかけつけたものであること、西久保に対し何故組合などを作つたか、組合などを作るものはくびにするという趣旨のことを言つたことが認められ、被告代表者本人はこれを否定するが、その供述は信用できない。

(2) 被告代表者が度々団交を拒否したとの点については、これを認むべき確かな資料はない。

(3) 組合員の脱退届の点については、証人小高義夫の証言および原告本人尋問の結果を総合すると、昭和三八年九月二日組合の大会の席上、当時一九名位の組合員のうち一二名位の者の脱退届が提出されたことが問題となつたこと、その席上小金谷準看護婦は脱退届は自発的に書いたものではなく、中島主任看護婦から強制されて書いたものである旨発言したこと、同主任看護婦らは組合を解散し、親睦会にした方がよいとの意見を述べたこと、大橋看護婦は院長から組合へ入ると旅行など連れて行かないと云われたと発言したことが認められ、右認定を左右するにたる証拠はない。右のような事実は特段の反証なき限り組合に対する使用者からの何らかの働きかけを推測せしむべき事実と解するのが相当である。

3  他方昭和三七年一一月頃奥田院長が原告に総武病院への転職を勧告したこと、翌三八年六月頃桜井源吾代表理事が同じく他の病院への転職を勧告し、同じ頃小川婦長が原告宅を訪れ原告の妻に対し原告の他の病院への転職を勧告したこと、同年八月頃小川婦長が再度原告宅を訪れ原告に対し同様の勧告を繰り返したことは当事者間に争いがなく、その他に同年五、六月頃奥田院長が原告に対し再度総武病院への転職を勧告したことは前記のとおりである。小川婦長が右の勧告をするため再度原告宅を訪れたのは、桜井代表理事、奥田院長らの意を受けてなしたものであることは同人の証言によつてあきらかであり、これを否定する被告代表者本人の供述は信用できない。そして原告本人尋問の結果によれば奥田院長が昭和三七年一一月原告に転職を勧告した際同院長としては原告に引続き同病院に勤務していて貰いたいが桜井理事長や常務は原告が組合を結成したりビラを貼つたりすることを非常に嫌うので総武病院へ行つて欲しいと説明し、翌三八年五、六月頃再度の転職勧告のときも原告が組合活動をして困る話が出たこと、同年六月頃小川婦長が原告の妻に転職を勧告した際も原告が組合活動をして非常に困ることを理由の一つとして述べたことが認められる。もつとも証人奥田裕洪は右説明を否定し単に原告に一層勉強してもらいたいためであつたと供述し、被告代表者は他のもつと条件のよい病院に転職した方が本人にとつて幸福であるからと述べたと供述し、証人小川まつは右の被告代表者の意を受け同様の理由で転職を勧告したと供述する。しかし右の各転職勧告の際、転職先のあつせん、保証等について話された形跡は全くないこと、原告の希望に反することを知り乍ら再三執拗に右のような勧告を繰り返したこと、そして原告がそのような勧告に応じなかつたため、ついに昭和三八年九月四日解雇を通告したこと、本訴において被告は右退職勧告の動機について、原告の非協力的態度のためと主張していたことを考えあわせると、右の勧告の際示したと同人らの供述する理由が単なる外交辞令に過ぎず真意でないことは容易に看取し得るところである。この点については証人奥田裕洪が「そういう勉強をしてもらわなければならなかつたのに、そういう私達の話合に彼が応じてくれなかつたので、解雇の決定を下した」旨供述し、被告代表者本人も「円満に退職するならば普通の規則の退職金よりもたくさん出すから円満にやめてほしいと言つたのに、これを受けてくれないので解雇を言渡した。」と述べていることからも裏付けられる。

これを一連の事実としてみるならば、被告が原告を退職せしめようとする意図は既に右の第一回転職勧告の時である昭和三七年一一月以前に胚胎し、それ以後数度に亘り原告の任意退職を迫つたものの原告がついにこれに応じなかつたため本件解雇に踏み切つたものと認められるので、被告が一貫して原告を排除しようとした形跡は明白といわねばならない。したがつて被告の本件解雇の真の動機も右の昭和三七年一一月以前に既に胚胎していたと考えるのが自然であるが、前記のとおり被告が本件解雇の理由として挙示する具体的事実は転職の勧告に応じなかつた非協力、昭和三八年五月の外泊許可に関する抗議、同年七月末の患者署名文書提出の件等にすぎず、これらがすべて右の昭和三七年一一月以後の事件であること、又それ自体解雇事由として説得力に乏しいこと、しかも具体的理由としては本訴提起後にはじめて示されたと認められることを考えあわせるならばそれが本件解雇の真の原因とは解し難く他方原告は生田病院で資格を有する男子看護人としては唯一の存在であり(この点は当事者間に争いがない)前認定のような被告の組合に対する態度および原告の勤務態度をも考えあわせるならば本件解雇の決定的原因は前認定のような原告の組合活動を除いては他にこれを求め得ないと解する他はない。

三、してみると被告の原告に対する本件解雇の意思表示は、その余の点について判断するまでもなく、労働組合法第七条第一号に掲げる不当労働行為を構成し無効であるといわなければならない。

したがつて原告と被告の間には依然として雇傭関係が存続しているものというべきである。

四、ところで、原告が被告から解雇の意思表示を受けた昭和三八年九月四日以前の三ヶ月間に支給された平均賃金は一ヶ月あたり金一七、九四二円であることは当事者間に争いがなく、被告が右の日以降原告の就労を拒否し、賃金を支払わないことは被告の明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなすべく、右事実によれば、前記のとおり雇傭関係が存続する以上、被告は原告に対し昭和三八年九月四日以降一ヶ月金一七、九四二円の割合による金員を毎月末日限り支払うべき義務がある。

五、よつて原被告間には雇傭関係の存続することの確認および右金員の支払を求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

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